第10回都市シンクタンク等交流会議/第4回都市政策研究交流会

 

概要

 

  平成19年8月1日 日本都市センター会館

 

  午前 第10回都市シンクタンク等交流会議

   @講演 「自治体シンクタンクの意義と中野区政策研究機構」

     中野区政策研究機構所長           澤井 安勇氏

   A報告 「うつのみや市政研究センターの概要について」

     うつのみや市政研究センター研究員      羽石  学氏

 

  午後 第4回都市政策研究交流会

  テーマ 「これからの地域振興〜市町村合併を踏まえて〜」

   @講演1「合併後の市町村の地域振興」

     一橋大学大学院商学研究科教授        関  満博氏

   A講演2「合併後の市町村振興とまちづくりを担う人材」

     法政大学現代福祉学部教授          岡崎 昌之氏

   B事例報告1「豊田市足助地区における合併後の地域振興の取組み」

     豊田市役所足助支所地域振興担当副主幹    竹田 康孝氏

   C事例報告2「阿蘇地域における“スローな阿蘇づくり”の取組み」

     (財)阿蘇地域振興デザインセンター事務局長 坂元 英俊氏

 

(以下、文責はうちだにあります)



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会議の詳細

 

第10回都市シンクタンク等交流会議

 

@講演 「自治体シンクタンクの意義と中野区政策研究機構」

※詳しいレジメが添付されています。これを基本に、口述部分を交えて報告します。

※中野区政策研究機構は組織内設置型のシンクタンクである。

 

1.政策形成をめぐる環境変化

 

・これからの政策形成は、行政にとどまらず次のような集団・組織がネットワークとな

 ってなされることになる。

  利益団体・政党・シンクタンク・企業・政治家・学者・市民団体・ジャーナリスト・

  ロビイスト

・これからの政策形成には専門家による専門知識に加えて、市民セクターによる「生活

 者の視点・知識」が無視できない。市民研究家や市民政策提案チーム。

・これからの行政の立ち位置は、政策形成の立場から「政策形成の場の提供」というも

 のに変化していく。行政パブリック+市民パブリック=「新しい公共」。役所の仕事は

 プラットホームづくりのコーディネーターへシフト。

・ソーシャルアントレプレナー…公共性の強い市民経済活動の存在が高まる。

・09年以降、世界的に人口の都市集中が始まる。都市政策の意義はますます高まり、

 自治体すなわち「市民にいちばん近い政府」の政策形成能力の強化が望まれる。

 

2.政策シンクタンクの世界的動向

 

・世界的には営利目的の機関でなく、大学附属などが主流。しかし日本はその逆。三菱

 総研、野村総研などが強い。これらが自治体からの受託研究を行っている。

・03年NIRA調査では、78%が国、地方からの委託による政策形成。日本は「受

 託研究」が中心、欧米では「自主研究」が中心。

・01年から日本でもシンクタンク減少。背景に、行革の必要から委託できなくなった

 経緯がある。欧米では姿を消すのではなく大学などに吸収されていった。日本でも近

 年、都市自治体シンクタンクやNPO型(「構想日本」など)、コミュニティ型のシン

 クタンクが増加傾向。

 

3.政策シンクタンクの機能

 

・アドボカシー…政策を分析・評価し、代替的政策案の提言を行う機能。

・@政府や議会に近い立場でロビイスト、政治家グループなど、A審議会スタイルをと

 る臨時有識者会議のような中間組織的なもの、B学術シンクタンク、アドボカシーシ

 ンクタンク(NIRAなど)、NPOなど市民社会に属するもの、の3種に類別される。

 

4.自治体シンクタンクの役割と課題(組織内設置型のケース)

 

 ・役割…

  @トップマネジメントへの代替的政策提言

  A庁内における政策形成支援(職員のスキルアップなど)

  B他の社会的セクターとのブリッジング(交流・連携)

  C地域政策ネットワークのコーディネート

  D市民への情報発信・解説など

・課題…

 @地域ニーズをどう把握するか。自由度の確保すなわち「結論先ギメ」のあり方にど

  う「棹差す」か。中立性、自由度を求めれば時間がかかり、苦労がつきまとう。

  (中野区の場合、外部スタッフ4名、区職員3名で構成。ただし職員3名は異動す

  るから、ストックが困難)

 A庁内組織との調整

 B知的インフラのストック形成

 

5.中野区政策研究機構(PRINC)の活動理念

 

・理念…「都市と市民の世紀におけるコミュニティ・ソリューションの追及」

・経営指針…地域資源の把握・活用、政策評価の重視、地域協働の促進、人的ネットワ

 ークの形成、ケース・スタディの重視、ソフトパワーの重視、政策形成のコーディネ

 ート機能…既存の政策を評価しつつ、新しい政策を形成していく。現実に即した回答

 を出していく。ここがNIRAと違うところ。

 

6.07年度の研究テーマ

・基礎研究…地域ニーズの把握により中野区の現状と課題の分析

・2050年の中野区区民生活の展望、未来予測、将来像のイメージ化

・障害者の雇用促進…多様な就業スタイルを創出

・建て替え促進による住環境向上…中野区には全国有数の木造アパート群

 



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A報告 「うつのみや市政研究センターの概要について」

 

1.設立(H16.4)背景

 

・従来の「問題対応型」政策立案、つまり「差し迫った課題対応」という形から「課題

 発見・解決型」の政策立案行政への転換。

・地方分権推進で、「地域の課題は地域自ら責任を持って解決」の意識に。

・市長の選挙公約による。

なお全国の設立状況についてスライド(別添)参照。全国に39存在。

 

2.センターの位置づけ

 

・政策審議室との役割分担…政策審議室は実務課題への研究立案、短期的。センターは

 中長期的な視野で調査研究。

 

3.3つの機能

 

・調査研究機能…市職員が都市ブランド、シティセールスなど庁内横断的に研究する。

 現場職員のナマの声を反映、すぐ実行に移せる、というメリットがある。

 実績「子ども青少年行政のあり方に関する研究調査」「都市ブランドとシティセールス

    に関する研究調査」

・政策形成支援機能…担当課の求めに応じて助言、講師紹介、職員の政策形成能力向上

 勉強会やアドバイザー制度

 実績「CST」「都市計画マスタープラン」への助言、アンケート分析など

 

・情報収集・発信機能…研究誌、報告書、まちづくり論集、各課に資する事例紹介、シ

 ンポジウムなどの情報提供

 実績「庁内掲示板」全職員が毎朝必ず見る。

 

4.組織体制/スタッフ

 

・庁内組織では総合政策部、政策審議室の中に位置する。

・外部からセンター所長を招聘し、庁内組織に位置しながら客観性を確保している。

・外部から専門研究嘱託員を確保し、高い専門性を持つ。

・スタッフ 所長は非常勤、大学教授。副所長は常勤職員、企画部門の経験有り。研究

 員は常勤2名。専門研究嘱託員は非常勤、大学博士2名。以上計6名。内部外部各3

 名、常勤非常勤各3名の構成。

・年2回、外部有識者を「企画運営アドバイザー」として5名招聘、アドバイザー会議

 を開催。専門性と客観性を確保。

 

5.取組の成果

 

・調査研究実績…H16は4件、17は7件、18は5件。

 例…ニートの実態に関する研究、宇都宮市における地区間の親密度に関する研究、

   公共交通不便地域の抽出に関する研究、市街地における駐車場の変化に関する研

   究、などなど。

・政策形成支援…一日に1〜2件の相談業務、3229(身に付く)勉強会22回、ア

        ドバイザー派遣15回

・情報収集・発信…研究誌、論集各3冊、HP、シンポジウム開催案内など

 

6.課題

 

・いかに市政に反映させるか…所管課が動かなければ意味がない。

・政策審議室との距離…遠すぎず近すぎずの距離感を確保。

・スタッフと業務量のバランス…業務は急増しているが行革で人数増やせず、講演にも

 参加できず。

・人脈とノウハウの蓄積…人事異動、外部からの嘱託専門家との人的つながり

 

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第4回都市政策研究交流会

 

@講演1「合併後の市町村の地域振興」

 

※氏は地域産業政策が専門。全国各地で実地に携わっておられる。

過日地震災害に見舞われた柏崎市ともそのつきあいがあり、リーダー育成塾を運営して

いる。災害直後柏崎入り。そこでの模様を伝えながら、論を進められた。

 

・柏崎市にはここ7年間で4、50回訪問、産業振興で関わってきた。

・その特色は大物の機械加工。長崎、玉野市よりも一回り小さいサイズの産業。

・後継者が育っている。企業間の仲がいい。

・市の商工担当と商工会議所も仲がよく、これは意外と少ない現象だ。

・このような背景であるが、そこに震災がやって来た。

・全国から支援物資、ボランティアがどっと入ってくる。

・しかし支援物資は、各自が自宅のタンスの中の不用物を、これ幸いと送ってくるのが

 神戸の反省からわかっており、今回は個人からの支援をお断りした。

・加えて原発が大きな影響をもたらした。

・市役所職員では、本来、産業振興に担当者はいち早く取り組んでもらいたいが、それ

 には未だ手つかず、市民に弁当を配っている。ここが問題だ。

・ここでのものづくりが止まると、大手トヨタの製造も止まった。そこでトヨタから6

 50人を投入、一日も早い復旧策が講じられた。

・工場の姿は残っている。よかった。しかし電動シャッターが開かず、中に入れない。

 何とかして入ると、中は散乱、固定してある重たい機械もヨコに移動。水平を取ると

 ころから始めなければ稼働できない。まさに戦場状態。

・災害発生は休日の10時13分。稼働している工場でも朝の休憩時刻だったのが幸い。

 工場内での大事故は免れた。

・発生後1週間は「呆然」という状態。けれども1週間が経つと「何とかしなければ」

 と思い始める。そこに電気が通った。まず機械の「水平」を取るために、移動させる

 ための重機が必要。しかし需要が殺到し、1ヶ月待ち。こうなると発注者は外に仕事

 を発注するようになる。一旦発注が途絶えると、その注文はもう戻ってこない。

・このように、震災直後の産業支援は非常に重要なものである。

・役人はまだ「弁当配り」。そのかわり商工会議所がよくやっていた。

・3年前の地震の折の「学習効果」は高いと思えた。

・各社の社長はまず重機業者を呼んだが、そこで明暗。すぐに手配ができた会社とまだ

 来ない会社に分かれた。

・27日、80%の会社が復旧できたのはすばらしい。それは仕事を奪われないように

 との、命がけの毎日だった。そこで教訓なのは「機械屋と仲良くしておくこと」。

・被害はピンポイントで発生している。砂丘の土壌地を開発している地区はひとつの商

 店街まるまる壊滅。一方、工場内に20pの亀裂が入ったものもあったが、それでも

 1週間後には復帰できていた。水も電気も来ない中であったが。海に面した市街地に

 近い臨海工業団地は砂地の上なので壊滅、山手に立地しているところは9割まで復旧

 できた。

・このような中、怖れるものは

 @風評「もうダメなのでは」という風評に対し、早く「ちゃんとやってる」ことを伝

  える必要

 A海辺の14社は壊滅の臨海工業団地に近い。「もうこの場では無理」。この場合は移

  転の見通しを立てる

・氏が全国で展開しているリーダー育成塾は10箇所。柏崎市もその一つで、これら各

 地から柏崎支援の問い合わせ、申し出、提案が寄せられた。このようなことも重要な

 ことであろう。

・くれぐれも市職員はいつまでも弁当を配っていてはだめだ。

 

・次の話題は中国山地の中山間地域、真庭郡新庄村。ここにも氏は入っている。

・新庄村は真庭郡の中でも岡山、倉敷、津山市といった都市部から隔絶された地域。

・新庄村を除く他の村で合併、真庭市となった。

・一般に、このような村には3つのパターンがある。

 @単独自立に成功

  A合併に合流する

  Bそのまま「ダメ村」となる

・新庄村が合併しなかった理由は、

 @真庭市に加わっても新庄村はその辺境に位置する。村役場の職員は20人から5人

  になるおそれがある。

 Aダムの財政収入が見込める。

 B国保が赤字でない。国保で困っていない。

・高齢化率は38%だが、ばあちゃんは皆元気だ。みんな仕事をしているからだ。

・山で採ってきたものを佃煮にして出し、収入にしている。孫に小遣いもやれている。

・きわめて「品のいい」人ばかりだ。

・20年前の村長の先見性で、今も「ひめのもち」(もち米)の栽培状況は良好。これで

 村おこしをしよう。この声に、4人の村民が乗ってきた。4人×一人5万円の資金で

 スタート。「郵便局のふるさと便に乗せよう」

・当初60キロの出荷高でスタート、現在は6トンに。

・後のばあちゃんたちも乗ってきて、一人60万円を出資。とうに回収できた。これぞ

 農村コミュニティビジネスだ。

・生産物の「出口」は二つ。ふるさと便と、そして道の駅だ。

・ふるさと便を利用する人を「特別村民」。人口1000人の村に2000人の特別村民

 が誕生。

・活動するグループがいくつもに増えた。

・道の駅に出品するもののうち地元産品の多さでは全国的に見ても立派なものだ。

・次は桜を観光資源に。新庄村には「凱旋桜」と呼ばれる、日露戦争当時の130本の

 立派な桜並木がある。

・今では桜見物に、年3〜5万人の来客。屋台を設けて賑やかなイベント。自宅の土間

 も屋台にしてしまう。すべて手作りで、いい雰囲気だ。

・年7〜8回のイベントを開催。楽しみながら楽しませる、というノウハウが定着。

・このように、新庄村では「まつりづくり」に成功した。合併した周辺のまちではまだ

 まつりができていない。もしあの時合併していたら、職員5人ではまつりは維持でき

 なかっただろう。

・一方、広域で展開するごみ処理、下水道などの料金については、近隣にお世話になる

 立場となった。このため分担金は5倍に膨れた。

・自立の基礎として、産業政策は重要だ。外貨の獲得+生きがいの獲得だ。

・前述の「ダメな村」は、化粧とダイエットが必要だ。

・合併しようとする村の課題は、「まつりをどう維持していくか」である。

 

・市町村の役所には昔から「商工対策」というものはある。が、独自の「産業政策」を

 持っているのは全国自治体1800中でも20くらいである。

・つまりこれまで通産省の出先でしかなかったのだ。

・この点では墨田区が先進地だ。同区の産業ガイドブックは注目に値する。全国のテキ

 ストとなっている。関心を持ってほしい。

・産業政策では島根、岡山が注目だ。岩手はくたびれている。そしてその他の地域には

 まったくそのものが存在しない。

・この春から、熱心な県では、県下市町の30歳前後の商工担当職員と商工会議所の職

 員を集めている。岡山県でのその交流会では、自分の町の産業政策に「大丈夫だ」と

 確信が持て、涙ぐんでいる人もいた。

・自立のために、産業政策にもっと関心を持とう。

 

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A講演2「合併後の市町村振興とまちづくりを担う人材」

 

・平成の合併で自治体数は市782、町827、村195、計1804に。

・総務省のHPの表現「本日の市町村数」というのが笑える。

・高山市は面積2180平方キロで全国最大。いま、基礎自治体とは何なのか、考える

 ときだ。

・国に対し広域連合への再考を促したが、取り上げられなかった。

・日本では国土の7割を占める中山間地域。そこから人口が流出している。いわゆる

 「条件不利地域」。

・しかしスイスでは26のカントンが健在で、山間地域の3分の2の地域で人口が増え

 ている。北米オレゴン州ではカスケード山脈の中のコミュニティが復活した。日本の

 山岳地域はどうすべきか。

・スイスでは人口55人でも一つの村だ。独立、自立の気概が強い。それを支える背景

 としてダイレクトペイメントの制度がある。直接支払制度。直接生活保障と言われる

 ものである。これにより村が大都市の支援を受けている。市民の寄付金を姉妹都市に

 回すというシステムである。日本において都市から村への支援、つまり国土の65〜

 70%をどうするか、という問題がある。

・合併新自治体内の融和と個性の問題をどうするか。別冊国土交通省都市・地域整備局

 「自立した地域づくりの継承方策の検討調査報告書T、U」を参照。

・合併前の市町の個性を磨きなおすことから融和も始まる。

・これからは自治体職員が主役だ。これに住民が加わって、まちづくりの主体を形成。

・例えば岡山には千年の歴史ある神楽があるが、自治体職員が継承している。

・合併後のまちづくりに関し、ふたつの問題がある。

 @地名がどんどんなくなっていくこと。

  福井に「イマダテ」という、千年続いた和紙の国内最大の産地があったが、合併で

 「越前市」となり、「イマダテ」は消えた。湯布院でも「ハザマ」「庄内」という地名

 が消え、由布市となった。その時湯布院からはハザマ、庄内を含めた地域を湯布院と

 呼んで欲しくない、この2町といっしょに呼ばれたくない、という声が上がり、結局

 「由布市」となった経緯がある。地名は文化財のようなものだ。百年の痛手だ。

 Aアーカイブスが散逸すること。

  歴史書やまちづくりの蓄積されたものが、合併により大量処分されている。

・まちづくりの停滞。これまで旧市町で中心となってきた人が気の毒なことになってい

 る。

・中核になるべき市が、やるべきことをやっていない。リーダーシップを取れてない。

 (反対に豊田市はすごすぎる)

・これからのまちづくりとして、合併推進は自治体数1500が一応の収束。

・ここで平成の合併の費用かをしておく必要がある。国が「1000自治体」を目指し

 た根拠はなく、現場は振り回された。

・かつての明治の合併は300〜500の小学校運営単位への合併、昭和は同じく中学

 校単位へという根拠があった。平成の合併には根拠がない。

・腰が定まらなかった最大の要因は住民の自治意識の低さだ。これを逆に言うなら、こ

 れまで住民が「自治」を考える必要がないくらい、何から何まで国がやってくれた、

 ということである。

・スペインのバスク地方は、ピレネー山脈に抱かれ、大西洋とはさまれた三角形の小さ

 な州だ。かつてここにアフリカからモスリムが攻めてきたとき、ここは戦いの場、砦

 となった。その後ナチスも攻めてきた。これらのときに、コミュニティが自分の身を

 守る単位として機能した。日本の自治は程遠いものである。

・明治5年の農協合併を含めれば今回4度目の合併ともいえる。合併すると周辺地域が

 必ず疲弊する。

・旧高宮町、700人の集落に地域振興協議会という民間組織があった。ここでは介護

 グループを立ち上げ、防災堤でのラベンダー栽培、旧中学校を活用してのエコミュー

 ジアム開設で学習の場、交流の場づくりに成功。協議会は黒字を出している。

・鹿児島県薩摩川内市。地区コミュニティ協議会があるが、その単位は2〜30人から

 2000人規模までさまざまだ。それぞれに合併後のまちづくりに意欲的だ。中でも

 ミネヤマ地区は熱心で、コミュニティペーパーを作り、農産物を全国発信。過疎地で

 あるが合併後の誘致のため、土地開発に取り組んだ。ここにUターンの人々が定着。

 地元のために働いてくれている。

・これらの例は、旧リーダーではないリーダーを押し立てている。「生活の達人」のよう

 な人が出てくることで、まちづくりは成功する。束ねることに長けている、地元のボ

 スではない、Uターンの人の中に、新しいリーダーを見つけ出す。「外貨獲得」、では

 ないが、元気を外からもたらしてくれる現象だ。

・成功した事例の特色は、◎利潤動機を導入、◎女性パワー、◎外来パワー

・団塊の世代はあまり当てにならないのでは? この世代は日域居住、つまり日帰り範

 囲でしか行動しないと思われる。それよりも期待できるのは団塊ジュニアの世代のI

 ターンだ。ピンポイントで人材が流入することが期待できる。

・山梨県早川町では早稲田大学院からの移住に着目。「2000人のHP」を立ち上げ、

 品川区と連携し「早川品川グループ」というしくみを作った。定住型外部専門家が動

 き出したといえる。

・行政サービスの担い手は役所だけではない、というのが21世紀型。

・ニセコ町では図書館運営を、読み聞かせグループ「あそぶっくす」のお母さんたちが

 運営。当初そこに2人の町役場職員を配置する予定だったが、それも断った。星空鑑

 賞、演奏会などイベントも独自で展開。子どもたちは「今日は○○ちゃんのお母さん

 が図書館にいるから、遊びに行こうよ」と集い、こうして図書館が町の拠点になりつ

 つある。

・これからのまちづくりの人材は「役場職員が役場のカウンターを乗り越えて」。

・水俣市では職員が「何ができるか」と「モマの会」を結成。モマとは当地の言葉でム

 ササビのこと。暗くなったら動き出す、ということで命名。夜になったら住民と動く。

・これからは自分たちの責任で、住民といっしょにまちづくりを見直すというスタンス

 が必要。「地元学」が盛んになるべき。まちづくりのキッカケとなる素材を探す。

・施設建設、公共投資偏重から地域課題解決への方向転換の時。

・福祉、医療、環境、景観など身近で根深い問題に取り組むのが21世紀のまちづくり

 である。

・これまでは、カウンターの向こうに住民が来たら対応していた。これからは職員がカ

 ウンターの向こうへ、住民のところへ出て行くというスタンスだ。そこで専門的知識

 が求められるので、これを職員がどう身につけるかが課題だ。

・最後は愛媛県内子の例。昭和52年、町内12000人のうち2人だけがまちづくり

 の発起人となった。

・江戸末期から明治にかけてのすばらしいものがここには残っていることに着目。2人

 から始めたまちなみ保存への運動は昭和57年にようやくかなった。現在では年間7

 0万人の観光客の町となった。

・ちゃんと身の回りを見渡すことだ。これもまた危機管理意識であろう。

 


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B事例報告1「豊田市足助地区における合併後の地域振興の取組み」

 

・開発の波が押し寄せたとき、古い「サンエイ和尚」の理念に基づき、木が高く売れる

 があえて切らず、もみじを大切にしてきた。これが紅葉見物の観光資源として活きた。

・観光客があふれて交通渋滞が発生。これを緩和するための策を講じたが、便利になっ

 たことでさらなる交通渋滞に。

・地区に「守る会」を発足。全国「町並みゼミ」を開催。「自分たちの町は自分たちの手

 で守る」と活動を開始。

・スライド写真に沿った説明。古い宿屋は今も営業、大正元年建設の銀行の建物も取り

 壊しに「待った」をかけ、今は資料館に。

・「足助(あすけ)らしさとは山里の文化であり、観光とは地域文化の創造である」

・昭和55年「足助屋敷」を整備。昭和初期までの手仕事を保存。鍛冶屋、紙漉き、桶

 屋など10種類の生業を今も存続。そこでは老人の就労、というよりお年寄りの生き

 がいの場が創出されている。

・センターとなる施設は「百年草」と名づけた。百歳まで健康で、雑草のように力強く

 生きよう、との願いを込めた。ノーマライゼーション、福祉の拠点として機能し、ま

 たくつろぎの場として喫茶、レストラン、浴場も整備。さらに生きがいの場として、

 ハムソーセージ、パンの製造施設も。名づけて「バーバラハウス」「ジジ工房」。

・これらまちづくりには小沢さんというカリスマが存在している。小沢さんが宣伝パン

 フレットの案におっぱいの見えた写真を出したところ、回収されてしまった。

・運営体は株式会社三州足助公社。任意団体だったものを株式会社化。足助屋敷、百年

 草の運営と足助観光協会の業務のうち公園管理部門を担当。指定管理者制度。このほ

 かシンクタンク機能も併せ持つ。

・「地域の相違を認め、それぞれの持ち味を生かしあって、都市と農山村が共生」。これ

 が合併(平成17年4月)の理念。その制度的担保として「豊田市まちづくり基本条

 例」「豊田市地域自治区条例」を制定。

・いわゆる「支所」の体制でなく「地域振興担当」との発想で、各地区の事務局を担う。

 そして支所が本庁に要求するスタイルを。地域自治区条例では、都市内分権を謳い、

 26の自治区が市に提言を行う、というシステム。

・合併後、豊田市における足助地区は集客力が向上。さらなる魅力アップを目指す。

 道の駅「どんぐり横丁」の産直、入浴施設、釣り、もみじの補植、ライトアップ、無

 電柱化、駐車場不足対策、サイン整備、回遊導線の整備、橋の拡幅とバリアフリー化

 など。

・これらにはハード事業が多いがソフトもある。「足助ツーリズム21世紀クラブ」がソ

 フト事業を担う。「AT21通信」の発行、県外との交流、「たんころりん」「七草粥」

 などのイベント企画、「足助城月見の宴」では昔の料理、器は竹製、地元素材を活用、

 古い土雛の活用、などなど。

・先人の努力をAT21が汲み地域住民がそれを盛り上げる、という「協働」の好例。

・「わくわく事業補助金」として各地域会議後とに500万円の予算化。これを活用して

 お年寄りの元気アップ、環境改善などに取り組む。今年は「原木マイタケを普及開発」

 を行っている。

 

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C事例報告2「阿蘇地域における“スローな阿蘇づくり”の取組み」

 

・年間観光客1850万人

・3つの戦略

 @グリーンツーリズム 馬小屋を交流の場に。農家民宿。食材の収穫と語らい。

 Aタウンツーリズム  街角ギャラリー。水の商店街。看板統一。馬(バ)ロッケ。

            100円温泉。試飲試食。

 Bエコツーリズム   阿蘇南外輪の原生林。北外輪の放牧。

・財団法人阿蘇地域振興デザインセンターが母体となり、推進している。年間予算6〜

 7千万。国からの予算を合わせ、約8000万円となる。(詳細は別紙レジメ)

・人との交流がツーリズムを生む。パンフ完成までに5年をかけた。

・財団は「行動する財団」。シンクタンク+ドゥタンク。

・阿蘇の観光客が地域にまで流れているのか、と発想。商店や集落にまで人が来て、ゆ

 っくり過ごす仕組みづくりを目指す。

・いくら観光客が来ても直接的波及がないことに対し、商店街が立ち上がった。

・「一日中、キャッチボールができる商店街」。そのように閑散としていた商店街を「楽

 しめる商店街に」と発想。

・H14年に実験開始。「30分過ごせるための試み」。

・商店街の次は農村に着目。神社にある大きな杉を見に来てもらいたい。これには反対

 意見が出て、それならば神社にではなく、集落に来てもらえるようにしよう、と。

・住む人をどう元気にするのか、に取り組んだ。

・ポイントは行政との関係性。農業、商業などタテ割りの実情を、地域から見てどう連

 携していくかに工夫。

・行政の職員は異動で代わる。担当者が代わっても変わらない仕組みを、ということで、

 財団開設を決断。

・阿蘇に来た若い観光客が「新鮮に見えるなあ」と。商店街に魅力がある。また農村を

 訪れた客は「きれいな花、いいところ」と感想。それによって地元農民が地元の良さ

 に気づく。

・JR九州、JTBと連携した商品開発。新しい旅のスタイル@回遊のコースづくりA

 もてなしの人づくりB交通体系づくり。

 


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感想

 

午前の会合

以前から自治体の政策立案を専門に司るシンクタンクが、どのような形にもせよ、必要であることを考えており、今回この会に参加しました。

戦後60余年、憲法に謳われた「地方自治の本旨」という言葉は、語られるけれども実体としてイメージされることはなく、ともすれば論者の都合の良いように展開されてきたのではないかと思います。そして地方分権が叫ばれるようになり、地方自治体の政策立案能力が問われるようになりました。

さりとてそんなに劇的に関係者の意識が転換できるわけでもなければ、すぐに準備が整うわけでもありません。まず、市役所職員。次に市民。私は、この時節に当たり、選挙で選ばれた人々こそ、役所職員と市民の双方に対して懇切に「時代の転換」を説き、早期にこれに応じたシステムの設計と具現とを図らなければならないと強く感じます。

この会合に参加した8月1日は、数日前に参議院議員選挙が終わったばかり。与党の惨憺たる敗北の結果に、私は「民衆の判断は厳粛である」と、居住まいを正す思いでした。民衆の判断は多分にマスコミに煽動されている、ということを加味しても、やはり民衆は、動くべき方向に正しく動く、という重たい感想。一方政治家は庶民をリードすることが期待されるも、実情は指揮者不在のオーケストラといった状況。まさしく、そこには納得できる理論も説明もなく、まさしく「シンクタンク機能不全」という状況だったのではないかと思えます。

これは国政レベルの話でしたが、地方自治体が今や「住民にもっとも身近な政府」とこの会合でも表現されていたとおり、地方における住民納得の「政策」を打ち立てることができないようでは、国も地方も海図を失い、まったく「さまよえる日本」という様相と言わなければなりません。

地方における政策立案は、いったい誰が担うのか。それは各自治体により、さまざまなケースがあって当然だと思います。今回紹介された中野区の場合は庁内設置型。これまでいわゆる外部コンサルタントに一括委託していたようなスタイルは終わりを告げ、美辞麗句でさしさわりなく完結するようなビジョンでなく、各自治体がオーダーメイドの、お客さまたる市民の望みを充分に忖度した成果品ができるようなシステムのもと、当面の課題解決から中長期の市の将来像まで描いて見せるような、そのようなあり方を具体化しなければなりません。

そのために必要なのは何としてもシンクタンクの設立であり、それが有用に機能することです。

市民の中にあっても政策提言グループがわが丸亀市でもわずかながらも誕生しているし、NPOなどの活発な動きも、強く行政に意見を発信していくものに育ちつつあります。

丸亀市にあっても早急に、このシステムを立ち上げるべきであると、以前から本会議の質問等で訴えてまいりました。

外部有識者を招聘する形でもよし、職員のスキルアップもねらった若手ワーキンググループの結集でもよし、また、副市長級で政策立案集団を形成するのもよろしいでしょう。いかなる形をとるにせよ、ともかく早く、その姿を立ち現せてほしいものです。

その具体的な議論が始まるとき、私どもの今回の出張内容は大いに参考にしてもらえると思います。議会人として、これが実現に向け、今後も声を枯らして叫んでまいりたい。

 

午後の会合

一橋大学関教授のお話は実地にもとづいた非常に現実感のある展開。なるほど、H16年の高潮被害や台風災害を思い起こしながら、地震という、局地ではない市全体が被災に見舞われた事態を想像すれば、何日経っても職員が避難住民に弁当を配っていて本来業務がおろそかになる、ということは確かにそうだと納得しながら傾聴しました。

一度よそに回された仕事はもう柏崎には戻ってこない。これは天災でありながら一面、行政の為した、いな不作為による人災とも言えるということです。

私どもはまずとりあえず、このリアルな現場からの報告を、丸亀市職員各位に広くお教えしなければならぬと考えています。先進地の成功事例もさることながら、こうした反省材料は貴重で、目の前で食糧や飲料に事欠く人々の手当てに追われながら、大きく市の未来を失うということが果たして冷静に判断できるものか、これには市挙げての、広義の防災体制の見直しも必要なのではないかと感じました。

また新庄村の実例は痛快で、1市2町合併から2年半を経た丸亀市にあっても、このように配慮に満ちたまちづくりが、とかく辺境と忘れられがちな2町の中で特に展開されねばならない、それには旧丸亀市の力も動員しなければならない。合併をしない判断をした新庄村のたどった道の中に、私たち合併をしたケースへの重要な示唆も多くあると感じました。

全国1800の自治体に「商工観光」という課はあるが「産業政策」に取り組むものはその中にわずか20程度と。換言すればこれまで、それは国の通産省の出先でしかなかったとの指摘は鋭いと思います。この「感想」の冒頭に述べたとおり、これからはそうであってはならない。午前のシンクタンクにかかる講演内容ともあいまって、次なる手が打たれなければならないことを痛感しました。

次に、法政大学岡崎教授のお話。日本の国土の9割近くの中山間地域から人々は去っていきつつある。世界規模で人口の都市化は進むが、その中にあっても地方自治体の強さ、郷土愛の深さによって、小さなスイスの山村も経営していけるというシステムを紹介しながら、これからの日本にあっての地方政策への提言がなされていました。

一方で、わが国の地方交付税制度というものは非常に緻密ですぐれた制度であったとの声があります。逆に今、ふるさと納税制度の論議も始まり、いかに地方を元気にするか、公平に財を分配するかの議論が強まってきています。

ここで思い至ることもまた、「地方から国へ発信しなければならない」ということです。

そのためには地方同士が連携しなければならないし、それ以前に、各自治体が地方政府としての自覚と覚悟を持ち、「国は地方にかくあるべし」という理論構築ができていなければなりません。

教授のお話の後半は具体的な各地の事例紹介に移り、「夜になったら市民とともに動き出す」という、むささびにちなんだ「もまの会」を職員が結成したことや、お母さんたちが図書館を運営する北海道の例など、公務員と市民とが問題意識を持ち、「役場のカウンターを超えて」協働するという事例の紹介でありました。

これを「うらやましい」という感想に終わらせてはなりません。

何としても、の思いで、失敗を怖れず市当局がアクションに踏み出されることを、私共は今後も強く働きかけます。

後半、二つの事例報告がありました。合併後の大きな豊田市の中で辺境地化が心配された足助地区の頑張り、先人の知恵を取り入れ、資源を有効に活用した立派な例。そして「パンフレット作りにも5年をかけた」という、周到なる構築力で、「阿蘇には客が来ても商店街では一日中キャッチボールができる」という実情から脱皮、3種のツーリングスタイルを完成させた、それはいわば「資源に甘えない」市民と行政との姿勢は、ほんとうに脱帽の感がありました。

市職員はどんどん異動で代わっていく。ノウハウが蓄積されない。ならば財団を設立しよう、という部分は、現今、丸亀市において議論されている3財団統合の道筋にあっても大いに参考になるものと思いました。

阿蘇という素材があったから成功したのではない。

どれほど屈指の観光資源があろうとも、努力と意識的アクションなくしては、それはゴミと渋滞を持ち込む人々に過ぎない。儲かるのはホテルとみやげもの屋だけである。

このことから、丸亀市には丸亀市の、努力と意識的アクションを立ち上げるためのバネにすべく、これらの実例に学べはよいと思いました。

会場では報告のレジメとともに、立派な阿蘇のパンフレットをいただきました。

なるほど、単に絶景を愛でに来るだけの観光スタイルはもう流行らない。

活き活きと、そこに住む人々が観光客を迎え、交わり、「オレたちの故郷はいいところ」と、住民自らに発見と喜びがある、そんなパンフレットが完成しています。

「うらやましい」「阿蘇だからできた」と横目で見るのではなく、学ぶべきところを学び、そしてわが丸亀のまちづくりに活用してほしいと、切に願うものです。

                                  以上

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